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2014. 01. 15  
『お前が小さい頃、「あの子守歌歌って」と母にねだるくせに、歌が「お母さん いないけど 泣かずに 一人でねんねしよう」の箇所にくると「ワン泣き」して歌う口を押えたんだ』と言われた子守唄が、「今日から一人で寝んねしょう♪」で始まる子守唄でした。
おそらく「母のいない子供」への感情移入があったからだと思います。今でも・・・・・(>_<)

この歌詞のすべてを覚えていたわけではないので、姉・兄に聞いたがこの歌自体を知らず、母が亡くなった今では、もうすべての歌詞を知ることはできないのかと諦めていた。

先日、また、どこかの記憶の引き出しが開いてこの歌が、頭の中を走り回り、どうしても全部の歌詞が知りたくて再びネットで「子守唄」「今日から」「一人でねんね」などをキーにしてサーチしていたら、ヒットしました!! 以前にはどこもヒットしなかったのですが、ヒットした時は感激でした。

ヒットしたHPは、熊本県の『 くらしのあゆみ 一の宮 』でした(2002年10月10日開設)。この中の「昔の歌」のカテゴリに「今日から一人でねんねしょう」と言うタイトルでこの歌詞がすべて載っていました。

現在は、総ての歌詞が判り幸せです。
「(元)一の宮町文化協会」の皆様、有難うございました。

この歌のルーツ(何時、何処から)を知りたくなりました。
ちなみに母は、北陸地方の生まれで、京都の学校に行っていたくらいで、九州には余り関わりはなかったようです。
北陸地方にはこの子守唄はないように思われます。

歌詞は次とおりです
「ユーチューブ」で歌っているものがあれば聞きたいと思う。

一人でねんねしよう

(一)今日から一人でねんねしよう
   ねいやはお里へ 行ってしもうた
   母さんは お墓で おねんねよ

(二)今日から 一人で ねんねしよう
   おとぎ話も 出来ないが
   楽しい夢よ 来ておくれ

(三)今日から 一人で ねんねしよう
   お手々の枕も 出来ないが
   静かな 眠りよ 来ておくれ

(四)今日から 一人で ねんねしよう
   ねいやも お母~さんも いないけど
   泣かずに 一人でねんねしよう


ただ、私がおぼえているのも、母が歌ったのも1番と4番だと思います。

また、私が生まれた頃は、『「継母は怖い、苛められる」から実母を大事にしなくてはいけない』と言うことを教えるため言われていました。
だから小さい頃は「お母さんのない子」=「かわいそうな子」と思っていました。これが、「ワン泣き」の原因だと思います。

この子守唄のルーツはやはり九州なんですかね。
他にも少し悲しい、厳しい子守唄があるようなきがします。


一つ知りたいことが解決しましたが、ルーツを探ることが生まれました (^_^)v


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2014. 01. 05  
1月4日(土)今年の走り初めを終え国道6号線を走っている時、何故か走行コースに在る乗馬クラブ(小貝川沿い藤代運動公園内の乗馬クラブ、利根川沿いの成田つくば航空専門学校近くの乗馬クラブ)に居たポニー、仔馬を思い出した。
その後、何処かの「記憶の引き出し」が開いたようで「濡れた馬のタテガミを 撫でりゃ両手に朝の露 呼べば応えてメンコイ ほら・・・・・・」の歌を思い出した。しかし歌の
題名も「・・・・・・」箇所の本来の歌詞が出てこない。出てくるのは歌っていた当時(小学校1~2年頃)に誰からか教えて貰った替え歌の歌詞しか出てこない。
音楽の時間の歌ではなさそうだと思いましたが・・・・。これもアヤフヤ・・・・・・
やたら・・・・になってしまいます。

替え歌部分は少し汚い内容ですが、次のとおりです。
「ほら 鼻クソ丸めて マルキンタン それを飲むヤツァ アンポンタン」と家に着くまで歌っても、本来の歌詞は思い出せなかった。

WEBで調べたら在りました。

内容は次の通りでした(私の歌詞の中のアンダーラインの入った文字は、記憶と本来の歌詞の相違箇所です)。


めんこい仔馬
  作詞:サトウ ハチロー  作曲:仁木他喜雄
   唄:二葉あき子・高橋祐子

一、
ぬれた仔馬の たて髪を  撫でりゃ両手に 朝の露
呼べば答えて めんこいぞ オーラ
駈けて行こかよ 丘の道  ハイド ハイドウ 丘の道

二、
藁(わら)の上から 育ててよ  今じゃ毛並みも 光ってる
お腹(なか)こわすな 風邪(かぜ)引くな オーラ
元気に高く ないて(い)ろ  ハイド ハイドウ ないて(い)ろ

三、
紅い着物(べべ)より 大好きな  仔馬にお話 してやろか
遠い戦地で お仲間が オーラ
手柄をたてた お話を  ハイド ハイドウ お話を

四、
西のお空は 夕やけだ  仔馬かえろう おうちには
お前の母さん 待っている オーラ
唄ってやろか 山の唄  ハイド ハイドウ 山の唄

五、
明日は市場か お別れか  泣いちゃいけない 泣かないぞ
軍馬になって 行く日には オーラ
みんなでバンザイ してやるぞ  ハイド ハイドウ してやるぞ

昭和16年3月東宝映画「馬」の主題歌としてコロムビアレコードが二葉あき子・高橋祐子の歌唱で発売されたが、映画を離れて名曲童謡の一つとして今も良く歌っている。この映画は、東北農村生活の一齣を描いた作品で、農民一家の飼馬に対する情の滲み出た作品である事と、子役スターの高峰秀子が初めて娘役を主演する事で評判になった。

出典  古い記憶のメロデイ  
の中の めんこい仔馬 からのコピー


これで本来の歌詞は判ったのですが、期間を置いて思い出したときはまた、「ほら、鼻・・・・   アンポンタン」になってしまうのでしょうね。きっと


2013. 11. 16  
「生きてきた証として」のテーマを立てた。
説明にも記したが、これまで自分の子供のころから現在まで、将来はボケる前までにしたこと、考えたこと、感じたことなどの記憶を思いつくままに記して観ることにします。

最初は、「おんちゃん」です。
通常「おんちゃん」は、甥っ子、姪っ子が「叔父、伯父さん」を呼ぶときに使います。
ちなみに、「叔母、伯母」は普通に「おばちゃん」です。

私の実家を中心とした親戚では、この「おんちゃん」には、その人を特定するための冠を付けていた。
冠は、その人が嫁いだ先、住んでいた国・地域名、集落名、或いは兄弟(姉妹)が呼んでいた愛称だった。

父の祖父の兄弟の場合は、台湾のおんちゃん(帰国後は佐賀県)、樺太のおんちゃん(帰国後は北海道の旭川市)満州のおばちゃん(帰国後は福井県)がいました。
母の祖父の兄弟(お坊さんだった)は、ハワイのおんちゃん、〇〇寺のおんちゃんだった。
何とワールドワイドな・・・・。

父母のそれぞれの兄弟は、みんな地域名、集落名が付いたあじちゃん、おばちゃんだった。

さて、私の兄姉の場合、姉の家の甥っ子達は、「ふさっちゃんおんちゃん」「マーちゃんおんちゃん」、兄の家の甥・姪っ子は「キュキュおばちゃん」「千葉のおんちゃん」、私の家から姉、兄を呼ぶときは、成和のおばちゃん、栃原のおんちゃんになる。
このような呼び方を決めるのは、どうもどの家も母親に主導権があったようだ。

48歳になる甥っ子から、今でも「マーちゃんおんちゃん」とよばれている。
もうしばらくすると甥っ子の子からも「マーちゃんおんちゃん」と呼ばれる日が来るかもしれない。
照れるな~ (^_^;)

追加
実家が極親しくお付き合いしている近所のおじさん、おばさんに対しても、「屋号+おんちゃん」、「方向+おばちゃん」と呼んでいた。今でもそうなのかは知らない。「3丁目の夕日」の頃はみんなこんな感じだったと思う。
学校から帰ってくるとカバンを放り投げて、夕日を見るまで遊んでいた。また、予習・復習と言う言葉は知っていたがそんなことしたことない。思いっきり遊んだ分、後で勉強せざるを得なかったが良い時代を過ごせて良かったと思う。



2012. 03. 08  
「でこぼこみち」の歌詞について、2010.6.8と8.11の記事として掲載しました。
2011.8.12に、この記事を読まれた方からコメントを頂きました(実はコメントを頂いたのに気付いたのは2011.10末頃でした ^_^;)。

今回、記事として掲載させていただきます。

以下、原文を掲載いたします。

2番の歌詞

私が子供の頃、父からこの歌を教わりました。
記憶では2番は

「でこぼこ道を走ったら ひざが折れたり曲がったり
 腰の弁当は歌歌う でこぼこ道は困ります」
です。

節回しは「こし~のべんとは う~た うたう」だったと思います。
随分と前のことで、間違って覚えているかもしれません(^^ゞ

ちょうど1年前の記事で、ご覧になっていないかもしれませんが、
ご縁を感じてコメントさせて頂きました。


いただいた2番の歌詞、私の記憶のひだには残っていませんでしたが、この歌をお父様から教わり歌われた方がいらっしゃったこと、2番の歌詞を覚えていらっしゃり、教えていただけたことに感激しています。

また、節回しについては「でこぼこみち」を何回も繰り返し口ずさんでいると、
「こ~しのべんとは う~た うたう」ではなく、
「こし~のべんとは う~た うたう」だったように思いますというか、何か記憶の中の歌にこの節回しが蘇ってきます。

「でこぼこみち」の記事に、貴重な情報をいただいたことにより記事が充実できたこと、また、コメントを頂いたことが私のブログ再開のきっかけのとなったことを併せて報告させていただき、改めてお礼申し上げますます。

今後とも当ブログをよろしくお願いいたします。

2010. 08. 11  
「でこぼこ道を走ったら」の続きです。

この記事を書いた後、「でこぼこ道」のキーワードで検索していたら、次の内容が掲載されていました。

質問
「でこぼこ道を歩いたら、アりが3匹、また5匹、額集めて思案顔、でこぼこ道は困ります」という歌の正式なタイトル、作曲者、作詞者、発表年、2番以下があるならばその歌詞を知りたい。1950年頃うたわれていたものだと思う。

回答
雑誌『しらべま専科』37号(東京都立多摩図書館 2001.12)の「GIVE UP事例」に同じ歌に関する質問が掲載された後、同じく38号(2002.3)の「GIVE UP事例その後」に、この歌は昭和26年のNHK歌謡であり、NHK放送文化研究所で資料が閲覧できるという情報が寄せられていた。

今回はこの歌について、直接NHK放送文化研究所に問い合わせ、次のような回答を得た。
曲名「でこぼこみち」 竹中郁作詞 団伊玖麿作曲、歌手:藤堂顕一郎。『NHKラジオ新聞』 昭和26年12月15日号に掲載。ラジオ歌謡の楽譜を集めた『NHKラジオテキスト』に収録。NHK放送文化研究所の図書室で閲覧可能。

『NHKラジオテキスト』は都立DB、[NDL-OPAC] 、[NACSIS webcat]でヒットせず。『週刊NHKラジオ新聞』は国立国会図書館所蔵。そのほか、国立劇場図書館、早稲田大学演劇博物館所蔵([NACSIS webcat]による)。
当館所蔵の資料 1~4および団伊玖麿、竹中郁に関する資料などを調べたが、当館蔵書資料中にはこの歌についての資料はみあたらなかった。

出典は、レファレンス協同データベース  です。

と言うことで、昭和26年のNHK歌謡であったことが明らかになった。

嬉しい、なんとなくもやもやしていた胸の痞えが取れた感じがする。

ただ、歌詞が「額集めて思案顔」とありましたがこれはマッタク記憶が無い。「額集めて思案顔」も「腰のべんとう歌唄う」も同じ12文字なのできっとでこぼこ道の歌詞だと思います。

因みに4歳の時でした。

プロフィール

マダ

Author:マダ
還暦を超え、身体の動きが鈍くなったアングラーの釣り紀行です。

2010.07.01 毎日がホリデーになりました。

写真は、愛猫のヒヨです。

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